別府温泉をつくった男〜油屋熊八とは何者か?〜

みなさんこんにちは。Yumaです。
本日も私の記事をご覧いただきありがとうございます。

前回は別府温泉の概要について紹介しました。
しかし、調べていくうちに、ある疑問が浮かびました。

なぜ、別府はここまで完成された観光地になったのか?
その答えの一つが、今回紹介する一人の人物です。

油屋熊八

「別府観光の父」と呼ばれる人物です。

油屋熊八

JR別府駅に降り立つとこちらの銅像がお出迎えしてくれます。
この油屋熊八(以降、熊八)とはどのような人物なのでしょうか?

1863年生まれ、1935年没
愛媛県宇和島の城下町出身
熊八は、順風満帆な人生を歩んできたわけではありません。
大阪で株式取引に成功するも、その後の不況で全財産を失います。
さらにアメリカへ渡航するなど、波乱の人生を経て、最終的にたどり着いたのが別府でした。

ざっくりですが、行政や相場、海外渡航など様々なご経験をされていたようです。次章からは、主な功績をピックアップしてみました。


亀の井旅館

亀の井旅館は「亀の井ホテル」として現在も営業しております。
熊八は、当時の旅館文化に疑問を持ち、ターゲットを転換します。
大人の宴会中心ではなく、子どもクラブや療養者を積極的に受け入れ、落ち着いて安心して過ごせる宿を目指しました。

別府温泉日本一

観光産業というのはいつの時代も、好況と不況を繰り返すものですが、当時も大正天皇崩御をきっかけに観光不況の時代を過ごしていました。
そんな中、熊八は大阪毎日新聞が「日本新八景」を公募することを耳にしました。

なかなか、別府温泉の知名度が上がらないことが課題だった中、ここぞと応募を決め、あの手この手で見事「日本新八景 温泉部門」にて別府温泉が選ばれることになりました。

その後、この「別府温泉日本一」の称号を片手に、広告を撒き、見事別府の景気回復に繋がったわけでした。

別府地獄めぐり

別府にある7つの源泉を効率的に回れるように、ツアー化した別府地獄めぐりです。
当時では珍しい、観光バスをつかい定期観光バスとして運行しました。

さらに、バスガイドを日本で初めて導入し、ガイド付きの観光バスツアーとして人気になりました。

この定期観光バスは現在も別府の人気観光コンテンツとして好評です。


さて、今回は、別府観光の父と言われた油屋熊八に焦点を当てて書いてみました。
熊八の取り組みを見ていくと、単なるアイデアではなく、「観光地を設計する」という発想そのものだったことが分かります。

ではなぜ、彼のアイデアは100年以上経った今でも機能し続けているのでしょうか?

次回は、その仕組みをもう一歩深く掘り下げていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


シリーズ記事「観光地はどうつくられるのか Season1 別府温泉編」は、以下の図書、ウェブサイトおよび著者のフィールドワークをもとに作成しております。

〈参考文献〉
植松三十里『万事オーライ:別府温泉を日本一にした男』 PHP研究所、2021

https://amzn.asia/d/0fgMYj6T

〈参考ウェブサイト〉